2022年10月5日水曜日

薫風 第59号

 大島かおるの市議会リポート

どうなる、どうする⁉ さっぽろのミライ 

市制施行100年、西区誕生から50年
3年ぶりに行動制限のない夏。第7波とされる新型コロナ拡大への不安の夏。
「ウィズコロナ」と言われ、「コロナ疲れ」とも言われる中、皆さんいかが過ごされたでしょうか。規模を縮小しながらも、大通公園のビアガーデンが開かれ、私の住む地域では、子供向けの花火大会や夏祭りが催され、久しぶりに夏を楽しむ親子連れでにぎわっていました。
一方、参議院選挙さなかの7月8日。安倍元首相が銃撃され死亡するという、衝撃的な事件が起きました。逮捕された山上容疑者の動機などは様々に報道されていますが、「旧統一教会」と政治との距離や「国葬」の是非を巡り、新たな課題が浮き彫りになっています。

札幌市議会は8月1・2日に臨時議会を開き、原油価格や物価高騰により影響を受ける市民生活への支援策として、水道の基本料金を2か月間無料とするなど、121億円余の補正予算を可決しました。
「札幌が、もっとはじまる」┃引き続き、私たちを取り巻く様々な課題に挑戦し、次の一歩を踏み出していきたいと思います。

札幌市制100周年記念式典フィナーレ


予測不能のミライ
たまたま読んでいた自治体情報誌に、私が初めて出会う言葉が並んでいました。激動、不確実性、複雑、不透明︱それぞれの英語の頭文字をとって「VUCA」の時代というのだそうです。従来の世界の枠組みや構造が大きく変化し、転換を迫られていることを表わしています。
確かに、ロシアによるウクライナへの軍事侵攻、貿易摩擦に端を発する米中対立の激化、新型コロナウィルスの世界的な感染拡大など、私たちの予測をはるかに超える、想像さえしなかった事態が続いています。
このような中にあって、政府が号令をかけて自治体が従えば丸く収まる式の旧来のやり方では、ますます立ち行かなくなることが、明らかになってきました。政府の指示の下、平等で安定的な制度の運用と継続性を優先してきた行政の在り方から、自治体の主体的な取り組みが求められているということです。
政府の政策が不安定であったり、急激に変化することにより自治体が振り回され、大きな負担を強いられた新型コロナ対策は、ある意味で貴重な経験でもあります。
中央集権的な体制では、地域住民の求める様々なニーズに応えることは困難であり、分権改革を推し進めることによって、自治体と市民が力をつけ、能力を向上させることが求められています。

ウィズコロナ社会のミライ

第7波とされる感染拡大状況が一定のおさまりを見せる中、感染者の全数把握をめぐって、またまた国と都道府県の間の対立が生まれています。
「都道府県の判断で、全数把握をやめて医療機関の負担を軽減する」派と、「様々に生じる課題の対策を含めて国が一律に基準を示すべき」派と、「全数把握をやめると、保健所が把握できない感染者へのフォローができない」派の三つに分かれるようですが―。
何をいまさら、と感じるのは私だけでしょうか。
地方に任すわけでもなく、国が責任を持つわけでもない。議論の経過も明らかにされない。新型コロナ感染対策の中で繰り返されてきた中途半端な後追い決定が、また自治体の混乱を引き起こしています。
このような事態に対して、鳥取県知事を二期、総務大臣も務めた片山善博早稲田大学教授は、次のように指摘します。
法律では緊急事態宣言に関する役割分担で、具体的に何をするかは知事が決めるとされているにもかかわらず、国が基本的対処方針でがんじがらめに決めていること。
法律や施行令が誤って解釈されたり、恣意的に運用されている例があることなどです。
また、時間の経過とともに忘れられていますが、「小中学校の一斉休校」と「休業や自粛要請と補償」について、その政策決定過程や効果、課題についての検証が必要でしょう。
医療や保健体制のみならず、働き方や、子ども、女性、障がい者、孤独、地域、社会の基本的なサービスを担っている「エッセンシャルワーカー」と呼ばれる人の労働環境など、現代日本が抱える問題を浮き彫りにしたコロナ禍の時代。
ウィズコロナ、そしてこれからの未来都市札幌の計画的なまちづくりへ。
一つ一つの課題を重ね合わせながら歩みを進めます。

原発依存社会のミライ

ロシアによるウクライナへの軍事侵攻によるエネルギー価格の高騰と電力需給のひっ迫を理由に、原発ルネッサンス派が勢いを増しています。
岸田首相は、8月24日に開かれた政府の「グリーントランスフォーメーション実行会議」で、①国が前面に立って7基の原発再稼働を進める。②最長60年までの稼働期間延長。③次世代原発の開発と建設を検討することについて、年末までに具体的な結論を出すことを明らかにしました。
私たちはたった11年と少しで、福島原発の過酷事故の教訓から決意した「原発ゼロ社会」への道をあきらめてしまうのでしょうか。そして、これからも原発に依存しなければならないのでしょうか。
東日本大震災から3年6カ月の間、日本の原発はすべて止まっていました。原発ゼロ社会実現への課題とされていたのは、自然エネルギーへのシフトと送電網の整備・拡充、大型蓄電池の開発そして国内産業の育成です。
しかし、電力会社は新基準への対策として、原発一基当たり平均2000億円の巨費をつぎ込む一方、課題の克服には及び腰でいるのが現状です。「再稼働ありき」の姿勢を、政府も追認してきました。エネルギー政策の転換をサボりにサボって、この機をうかがっていたのでしょう。
電力危機と料金値上げの報道が繰り返される中、世論調査では「再稼働賛成」が初めて50%を超えるという、残念な結果も出ています。
ウクライナでは原発が標的にされているとのニュースが流れる今、グリーントランスフォーメーション(脱炭素社会)には原発が必要などという「悪魔のささやき」には負けずに、自然エネルギーを活かす地域循環型社会を目指したいものです。

デジタル社会のミライ
昨年9月、菅義偉前首相の肝いりでスタートして1年が経ったデジタル庁。
成長と行政改革の要とも言われ、岸田首相の「デジタル田園都市国家構想」なども華々しく打ち上げられましたが、掛け声通りには進まないようです。
その最たるものは「マイナンバーカード」ではないでしょうか。
来年3月までに100%の普及を目指すとしながら、取得率がなかなか上がらない状況に焦りを隠せない総務省は、9月末までは最大2万円分のポイント付与(総予算1兆4千億円)というニンジンをぶら下げ、自治体のおしりをたたいています。
さらには、自治体ごとの交付率を地方交付税に反映させるなどという、「禁じ手」まで使う方針を打ち出しました。
しかし、国による情報の一元化や集中を急ぐあまり、自治体とのネットワーク構築の在り方や、利用者である国民の利便性向上に向けた議論が後回しにされてきたツケは大きく、迷走はまだまだ続きそうです。
健康保険証や運転免許証との一体化も、国民にどのような利点があり、「行政の効率化」につながるのか、実感を持てないというのが現状ではないでしょうか。
コロナ禍の中でのリモート授業の必要性から、学校では一人一台のタブレット端末が支給されましたが、家庭環境によるデジタル格差や、子どもの習熟度、教師の負担や研修の在り方など、丁寧に段階を踏んでいくことが必要です。

平和都市宣言30年記念式典
民主市民連合の仲間と3年ぶりに開催された8・6ダイイン集会に参加


        

国と自治体の関係をめぐって


市議会特別委員会から

札幌市議会には「大都市税財政制度・災害対策調査特別委員会」と称する委員会が設置され、「国の施策及び予算に関する提案」(通称白本)「大都市財政の実態に即応する財源の拡充についての要望」(通称青本)を審議し、全国20の政令指定都市で構成する市長会と議長会で、同じ内容の要望活動を行うことになっています。
さらにこの際、札幌市が取り組む重要な事業を「札幌市重点要望」として取りまとめ、手分けして関係省庁と道内選出国会議員の議員会館を回ることになります。
陳情合戦とも揶揄され、ムダ遣いとも批判される活動は、国と地方が対等とすれば「理解と協力」を求める場、現実にはまだまだ上下・主従の「お願い」する場。微妙な立ち位置にあるといえます。

今年の「白本」では、「新型コロナウィルス感染症の感染拡大防止と社会経済活動の両立に向けた対応」として12点にわたって具体的な課題を掲げたほか、「国・地方間の税源配分の是正や大都市税源の拡充」、「多様な大都市制度の早期実現」などの長期的課題5項目。
来年度予算編成に直接関連するものとして、「子ども・子育て支援の充実」や「子育て家庭等の経済的負担の軽減や貧困対策」、「地域医療体制の維持に対する財政支援」、「義務教育施設等の整備促進」など10項目を提案事項としています。

札幌市重点要望では最重点要望事項として、国庫支出金や交付税の充実確保や大雪時の追加財政措置など除排雪に関する支援。検査体制の拡充や機動的な体制づくり、公共交通の維持や消費喚起策、事務権限の見直しなどの新型コロナ感染症対策。石油製品の価格安定と安定供給、生活困窮者への継続的な支援など物価高騰対策の3点を挙げました。
そのほか冬季オリ・パラ招致、産業・活力、暮らし・コミュニティ、低炭素社会・エネルギー転換の4分野9項目にわたっての要望となっています。
私たちが直面している政策課題は多方面・他分野にわたっています。常に5年10年の計画性を持って進めていく必要があり、そのための財源や継続的な財政支援が求められます。
矛盾を抱えながらも、国への要望活動は続いていきます。

国土交通省・水嶋審議官に要望書を提出

『国葬』は何のため、だれのため⁉
―権力の正当化のための儀式はいらない―
安倍元首相の国葬をめぐって、世論が二分しています。
反対論と批判の広がりに、岸田首相は急きょ議院運営委員会での質疑に応じましたが、これまでの説明を繰り返しただけでした。
岸田首相は、「国葬」とした理由に、①憲政史上最長の在任期間②経済や外交の実績③諸外国からの弔意④選挙中の非業の死を挙げています。
しかし、①②は極めて表面的かつ近視眼的な見方であり、功罪を含めた評価が定まるには最低でも10年の時を刻む必要があるでしょう。③は儀礼の範囲であり、④は「旧統一教会」との深いつながりが指摘されています。
安倍政権の時代に、日本と世界の分断と経済格差は大きく膨らみました。「モリ・カケ」「桜を見る会」など政治への信頼を損なう事件も多発しました。お隣の韓国・中国との溝は深くなるばかりでした。
時の政権に都合の良い実績を掲げて「国葬」を「国民の総意」にすり替えることで、自由な論評を妨げることにつながるのではないかとの疑念は膨らむばかりです。
決定に至る手続きや経費の全体像、「弔意の強制は行わない」とする根拠など、私たちの疑問を積み残したまま「国葬」が行われることになれば、新たな亀裂をおこすことにつながりかねません。