薫風36号から
混迷する政局と「決められる政治」
札幌市議会議員 大島かおる
「一体改革」を巡って混迷する政局と、泊原発の休止による電力不足を想定しての節電要請、竹島や尖閣諸島の領有権問題でヒートアップする愛国パフォーマンス、そしてロンドンオリンピック。皆さんそれぞれに熱い(暑い?)夏を過ごされたことと思います。お盆を過ぎて続く真夏日と寝苦しい夜、政局もこのお便りが届くころにどうなっているのか全く見当がつきませんが、社会の大きな転換点にあるこの時代に、皆さんからの負託を受けて議員として活動させていただいているという自覚を失わずに、歩みを進めていきたいと決意を新たにしています。
生活保護バッシングが意味するもの
お笑い芸人の母親が生活保護を受けていたことが国会の質疑にまで取り上げられて、バッシングの嵐が吹き荒れました。そして、家族の扶養義務の徹底と不正受給の取り締まり強化による保護費の削減、さらには、支給水準の切り下げという乱暴な主張が一部でまかり通っています。一方、生活保護費が年々増加しているのは、非正規労働者の拡大と企業によるリストラ、不十分な年金制度などの社会的要因であること、自立や就労支援策を欠いた現在の生活保護制度の抜本的な見直しについては繰り返し指摘されてきました。部分だけを切り取ってバッシングを繰り返し、それが正義であるかのように振る舞う「ハシズム」政治の本質がそこに現われているといえます。
一体改革─複雑な方程式
社会保障と税の一体改革に厳しい批判が集中しています。「増税の前にやることがある」「景気を何とかして欲しい」「社会保障を後回しにした食い逃げ増税だ」というのが、代表的な例でしょうか。これまで日本の経済成長を支えてきた産業が、経済のグローバル化の荒波の中で力を失っており、産業構造の転換が必要とされていること、貯蓄率世界一といわれる日本で消費が伸び悩むのは、将来の社会保障への不安が大きな要因を占めていることに異論はないと思います。
さらに、雇用は正規雇用を柱とする永年勤続型から、既に労働者の3分の1が非正規雇用に。20年後の年金は、騎馬戦型から肩車型にと、社会構造そのものが、旧来のモデルでは対応不可能な時代になっています。
所得税最高税率の引き上げや証券取引税の創設など、消費税以外の見直し、行財政改革によるムダの削減は当然に引き続き取り組まなければならない重要課題でしょう。年金・医療・介護・子育て支援などは、旧来のように家族主義を前提とするのか、社会が責任を持つ新たな制度へと転換を図るのか、議論はまだ大きく分かれています。そして、これらすべての答えが出揃わないと駄目だというのであれば、衆参両院で過半数を占める政党が出現するまでまた先延ばしということになってしまいそうです。
「決められる政治」とは何か。原発とエネルギー問題も含めて、私たちが囚われ、支配されていた様々な常識を、一度スッパリと脱ぎ捨てる必要がありそうです。
東日本大震災
復興への歩みは今
巨大な津波の破壊力と、いまだに収束の道さえ見えない原発事故。その記憶は今、ロンドン五輪の熱狂の中でかき消されそうになる。大震災から1年を経て、テレビ・新聞は一斉に「がれきキャンペーン」を開始した。「広域処理」に協力しない自治体は「復興支援に後ろ向き」とまで決めつける乱暴さは、大量の放射能をバラまいた責任、放射性廃棄物管理の原則を棚上げして、自治体間と国民に分断と不信を持ち込んでいる。
それぞれの被災地で始まっている新たな歩み。
マスコミ報道からだけではわからない「いま」を確かめに、7月11日から3日間、同僚議員7人と共に、札幌市と同じ政令都市である仙台市、町の中枢機能を失った宮城県北部沿岸地域、札幌市が職員を長期派遣している山元町を訪問した。
大都市の底力 仙台市
「仙台市震災復興計画」は昨年11月に策定を終え、一日も早い復興を目指し、そのことにより東北全体の復興を牽引するとして、計画期間を2015年度までの5年間としている。
①減災害を基本とする防災の再構築
②エネルギー課題等への対応
③自助・自立と協働・支え合いによる復興
④東北振興の力となる経済・都市活力の創造─という四つの方向性のもとに、市街地宅地再建、生活復興、海辺の交流再生、震災メモリアルなど10の復興プロジェクトが進行中である。
震災廃棄物(がれき)の処理については、3月15日に仮置き場開設、3月30日搬入場受け入れ開始、10月1日仮設焼却炉稼動と、「発災から1年以内の撤去、3年以内の処理完了」を目標として進め、撤去は今年3月に終了している。
また、仮置き場への搬入時に、可燃物、不燃物、資源物に粗分別し、搬入場でさらに10種類以上の分別を行うことで減量を図り、リサイクル率50%以上を目指すという。
このような取り組みによって、今年7月から、石巻市周辺の可燃物約10万トンの受け入れを開始する。焼却灰の放射能濃度は、主灰で97〜260ベクレル、飛灰で300〜1380ベクレル(いずれも1㎏当たり)とのことである。
一方、若林区、宮城野区の1706戸、約4700人を対象とする防災移転促進事業は、被災地最大の移転事業であるが、農業再生の柱である国営圃場整備計画を早期に開始するとして先行して進められている集団移転の対象者は、ローンの返済や将来の営農形態への不安からなかなか決断ができないでいる。
また、集団移転対象地域の世帯は、新築はできないが、改修は許されている。住宅改修に行政からの支援はないが、多くの世帯が自力で自宅を修理して住み始めている。
住み慣れた家や生活の糧になってきた田畑から離れたくない、という願いとどのように折り合っていくのか、課題は残されたままである。
内陸部の古い住宅団地では、地震によって擁壁が崩れて大量の住宅が損壊したが、費用負担をどうするかで宅地再建の目途は立っておらず、早急の対策が望まれている。
市民力が創る希望 北部沿岸地域
2日目は、「みやぎ女性復興支援ネットワーク(みやぎジョネット)」草野祐子代表の説明・案内で、生活再建に向けて歩む女性たちを訪問し、その活動について伺った。
「みやぎジョネット」は仙台市に事務所を置き、各地でサロンを開いて女性のさまざまな悩みに寄り添い、支援する活動を行っている。
石巻市
北上川のほとりにある「一般社団OPENJPAN」は、日本全国にネットワークを持つ個人や団体の集まりで、震災直後に、南部にある集会所を拠点に活動を始めた「ボランティア支援ベース絆」が母体となっている。
活動の一つである「サンライス元気村」プロジェクトは、仮設住宅に住む一人暮らしの高齢者に、お米と寄付金とともに預けられたメッセージを届けるものだ。
石巻市では約7,200世帯が仮設住宅に住み、1000を超える世帯が高齢者の一人暮らし。
そのうちの約300世帯を毎月訪問している。単なる安否確認にとどまらず、声を掛け合ったり、信頼関係を築くきっかけにもなっている。
案内していただいた「NPOスマイルシード」の黄本富士子さんは、この団体の支援も受けながら、閉じこもりがちな仮設住まいの人たちに「笑顔の種をまこう」と、自然学習や、音楽、料理などのワークショップを行い、心のケアと同時に新たな人のつながりを創り出している。
女川町
女川湾を一望する高台「輝望の丘」にある小さな喫茶店「おちゃっこくらぶ」を訪ねる。
一人で切り盛りする女性は、港の近くでダイヴィングショップを営み、地域の交流の場にもなっていた。
町の公募に応じて昨年7月にオープンしたこの場所は、女川町を訪れる人の案内所的な役割も果たしている。「コンテナ村商店街」は、寄付されたコンテナを利用して昨年7月1日に開設された。その後木製のデッキを取り付けてリニューアルし、9軒が寄り添う、まさに手作りの商店街である。
「フラワーショップ花友」店主の鈴木千秋さんは、津波ですべてを失い営業再開をあきらめていたが、「こんなときに何もしなければ将来きっと後悔する。大学を辞めて花屋を継ぐ」と決意の固い娘さんに背中を押されたという。
津波で犠牲になった遺体に、たむける花の1本も無く悲しい思いをしたこと、賃金の高い復興関連の公共事業に人が流れがちであること、全国から寄せられる支援物資はありがたいが、地元の商店としては複雑な思いであることなど、さまざまに交錯する、被災地に生きる人々の生の声を伺った。
南三陸町
ガレキは撤去され、荒涼とした中心市街地の一角で進められている植栽プロジェクトを、少しだけお手伝い。
「みやぎジョネット」のトレーラーハウスと移動式トイレが2基備えられ、ゆくゆくは地元の人たちの交流の場所にしていきたいとのことだ。約40㎞離れた加美郡色麻町の加美農業高校の生徒が定期的に通い、地元の女性も参加して取り組まれている。
あいにくの悪天候だったが、一緒に花を植え終えると、華やいだ気持ちになり、元気が出てくるから不思議だ。
仙台市宮城野区
米作農家の庄司恵子さんは、家は全壊を免れたものの農業再開のめどは立たず、趣味を生かし、端切れを利用して袋物を製作する手工芸サロン「つぎはぎすっぺっ茶」を主宰している。
住宅再建までは寝泊りしていたという蔵が、仕事場兼事務所である。周りには、同じように農業の経験しかなくて仕事を探すことが困難な女性が多く、また、ボランティア参加者の口コミで注文も増え、今では10人ほどが製作に励んでいる。
まちを創り変える 山元町
仙台市から南に車で約1時間、太平洋に面し、温暖な気候を生かした農業を基盤とする山元町は、沿岸部を縦貫する常磐線と周辺住宅地域が全壊し、農地面積の約60%が冠水するという大きな被害をこうむった。
とりわけ、特産のイチゴ農家は129戸中125戸が被災、水田の69%が冠水し、今年も作付けはまったく行われていない。
札幌市は全国市長会からの支援要請を受けて、昨年5月から、土木・建築、税務、産廃処理などの分野で延べ50人の職員を派遣すると共に、都市計画部長が復興本部会議に参与として参加して復興計画策定の実務を担ってきた。
今年4月からは、より施策に深く関与し、政策立案と事業の継続性を図るため、課長職1名、係長職1名(それぞれ派遣期間2年)、職員4名(派遣期間1年)が派遣され、復興計画実現の中核を担うことになる。
人口減少と高齢化が進む山元町の復興計画は、JR常磐線の内陸部への移設と、新駅を中心とした新たな市街地形成(コンパクトシティ化)が柱となっており、派遣職員は、これまで札幌市のまちづくりで培った力を十分に発揮すると共に、その貴重な経験が、今後の札幌市の防災計画や「安心のまちづくり」に活かされることを期待したい。
なお、被災自治体では職員の不足が指摘されているが、山元町には、他に宮城県、横浜市など全国11の自治体から、計24名の職員が派遣され、町民と共に汗を流している。
高齢化率31・6%で人口減少が進む町は、震災により一気に2,500人の減少を記録した。いちご団地の造成や水田の塩害除去事業が進められているが、働き手の確保が今後の大きな課題となるだろう。
また、2016年度の目標値で、新市街地における住宅団地の分譲率が50%、応急仮設住宅の退去率は50%と見込むなど、住宅再建にはなお時間がかかることが予想されている。独自の支援策が求められるほか、災害危険区域に指定された約2700世帯のうち、約3分の1弱が公営住宅への移転を望んでおり、将来の財政負担が危惧される。
復興公営住宅の建設や移転計画、港湾設備などの復旧は進んでいるように報道されているが、ガレキは撤去されたとはいえ荒涼たる風景を目の前にすると、日常の生活を支えるコミュニティの再生は、遠い道のりであるように感じる。
これまでの生活のすべてを奪われた多くの人たちが、避難所生活から仮設住宅へ、そして新しい生活拠点へと、長年住み慣れた地域や人とのつながりを断ち切られ、大きな不安を抱えながら暮らしている。ひと口に「絆」といわれるが、新しい人のつながりを創り、希望をつなぐさまざまな取り組みが求められている。
とりわけ被災地の多くは、過疎化と高齢社会化が同時に進行している。震災復興の歩みの中で、孤立しがちな高齢者が取り残されないよう、持続的な支えが必要に思われる。
また、各自治体の復興計画が本格的に動き出すことにより、巨額の復興予算の行方が注目されている。それぞれの被災地の実態に合わせた事業計画となっているのか。
さらにはハード面だけではなく、NPOや市民団体によって寄り添うように続けられている活動を支える予算はどうなっているのか。全体像をしっかりと見ていく必要がある。