2017年10月11日水曜日

大島かおるの市議会リポート 



 薫風 第48号から 2017年10月1日

地域からの政治改革を
民進党政令指定都市政策協議会会長に就任

全国20の政令指定都市の民進党系の議員で構成する「政策協議会」。8月22日に新潟市で開かれた第13回総会で、会長に選出されました。
「政策協議会」では年2回の研修会を行い、先進的な政策を学び意見交換を積み重ね、党本部に対しても要望・提言を行ってきました。
大役ですが、政治不信が広がる中、市民・地域と政治の回路がしっかりとつながるよう全力を尽くします。
会長就任のご挨拶

膨らむ不安と、細る民主主義

めぐみの秋に…
秋も深まり、大自然の恵みに感謝する催しが、札幌市内はもとより道内各地で行われていますが、今年もまた「記録的な」大雨による災害が、全国各地で発生しました。
台風による被害や集中豪雨のニュースを見るたびに、大規模な気候変動=地球温暖化について考えさせられるのですが、北海道の秋の味覚の代表であるサンマとサケの不漁が続いていることも、その影響なのかと不安になります。

そして、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)のミサイル発射と核実験を巡り、「犬」「ロケットマン」とお互いをののしりあう姿が毎日映し出される異常な世界。明日にでも世界を破滅させる「核戦争」が起きるかのような恐怖を、私たちに刷り込ませているかのようです。
そんな秋に、突然の解散総選挙。問われるべきは政党であり候補者のはずですが、立場が逆転し、私たちの側が突然答えを迫られる受験生のようにさせられていませんか!?

Jアラート…
朝7時、突然鳴り響く呼び出し音。見ると「ミサイル発射、ミサイル発射。うんぬんカンヌン」―いったい何時に発射されてどこに向かって飛んでいるのかさっぱりわからない。さらには、実験なのか攻撃(=戦争)なのかもわからない。
これでは、私たちも自治体も判断のしようがありません。

安倍首相は、今回の弾道ミサイル発射について「すべてを把握していた。」はずですが、なぜ国民に対して正確な情報を伝えようとしないのでしょうか。危機を煽(あお)れば、国民は全てつき従うと思っているのでしょうか。
また「日本にとって最大の脅威」とも言っていますが、すでに中距離ミサイル実験の成功によって、日本は射程内にあります。「最大の脅威」と言うのであれば、何よりも「核兵器禁止条約」に加わり、東アジア地域の非核化に向けてリーダーシップを発揮すべきです。

「密室政治」が問われ続けています。そして「寄らしむべし。知らしむべからず」―権力にすり寄るものには便宜(=忖度?)を与え、疑問や異議申し立ては力で封じ込める手法が幅を利かせています。
東京都政を「ブラックボックス」と批判して登場した小池知事もまた、自らの政治判断の説明責任を果たしているとは思えません。

「決められる政治」がいつのまにか「強権政治」に衣替えをして、民主主義が市民から遠ざかっていく―STOPするのは、私たち一人ひとりの力です。

「復興」への重い課題
東日本大震災の被災地を訪ねて
東日本大震災から早や6年半が過ぎました。多くの被災地は復興に向けて着実に歩んでいます。しかし、福島第一原発事故の放射能汚染により帰還困難区域に指定された地域では、まだ手がかりさえつかめない状態です。
7月、同僚議員と共に宮城県仙台市、山元町、福島県浪江町、富岡町を訪ねました。
浪江町「まち・なみ・まるしぇ」にて
富岡町職員(左から3、4番目)と、「さくらモールとみおか」の前で

帰還への苦渋の選択
福島県浪江町

原発城下町と称される双葉郡5町の中で、一番北側に位置する浪江町。人口2万人ほどの農業の町は、バラエティー番組「ザ!鉄腕!DASH!」のDASH村があった町としても知られています。
今年3月31日、市街地を中心に町内の3分の1の地域で「避難指示」が解除されました。人口では8割が対象になります。

昨年9月の町民アンケートでは、「戻りたい」17・5%、「判断がつかない」28・2%、「戻らない」52・6%との結果。南相馬市までの常磐線の開通、診療所の開設などは明るい材料ですが、放射線量への不安や農業の再開が見通せない中での決断でした。
町議会でも賛否両論がある中、「これ以上帰還が遅れるとまちがなくなってしまう」との危機感が、まさに「苦渋の選択」となったわけですが、今後は住民一人一人が「悲しみ、悔しさ、無念の思い」の中での決断を迫られることとなります。

仮設商店街で

雑草が生い茂る田畑を抜け、人気のない市街地にある町役場の敷地内に、仮設商店街「まち・なみ・まるしぇ」はあります。B1グランプリでお馴染みの浪江焼麺太国のアンテナショップやカフェ、コンビニ、コインランドリーなど10店舗が並び、そこそこにぎわっているように見えました。
しかし、商店街の浅見事務局長の話では「近隣の飲食店がまだ再開しておらず、ここに集中しているだけ」とのこと。除染や家屋の解体作業の作業員の出入りは今後増えていくと予想されますが、1割に満たない帰還者の中での厳しいスタートです。

模索の日々続く
福島県・富岡町


今年4月1日に避難指示が解除されたのは、町面積の約3割、住民の7割が対象になります。
くしの歯が抜けるように解体された建物が目立ち、人通りもない商店街で、1軒だけ「営業中」ののぼりを掲げる金物店があります。
居住制限地域に指定されていた2013年に、復興事業の作業員が使用する工具や消耗品を販売するために再開しましたが、他の商店主が「戻る」という話は聞こえてこないと言います。
町民自慢の桜のトンネルで有名な夜が森地区も、まだ「居住制限地域」の中です。


復興への足がかり

今年3月に国道6号線沿いに、スーパー、ドラッグストアー、ホームセンターなどが入る複合商業施設「さくらモールとみおか」が開業し、周辺にある公設の診療所や復興住宅などの真新しい建物が、帰還への希望を象徴しているように思えます。
来年4月の小中学校の再開も決定され、住宅の解体―再建への動きも増えてきており、東京方面に向かうJR常磐線も10月には運転再開とのことです。
一方「時給1300円でも人が集まらない」「帰還が先か、環境整備が先か―まるでニワトリと卵だ」など、条件整備に取り組む自治体職員の深いため息も聞こえてきます。


6年半の空白と放射能汚染

福島復興局が毎年行っている住民意向調査では、浪江町、富岡町ともに「戻らない」と答える割合が5割を超えているように、6年半という年月は、住民の意識に大きな変化をもたらしています。

新しい仕事に就いたり子どもの学校生活など、避難先で新しい生活基盤が出来るのは当たり前のことであり、生活インフラが未整備のため過大な負担を強いられる現状では、やむを得ない選択でもあります。
また、除染作業が進み政府の安全宣言があるとはいえ、平常よりひと桁以上高い空間放射線量は、とりわけ子供のいる世帯にとって、帰還への気持ちを削ぐ大きな要因となっているのではないでしょうか。

馬場浪江町長が「まずは町の基盤を残す〈まちのこし〉」と語るように、自治体の悩みは深い。
福島第一原発のお膝下の双葉町、大熊町ではいまだに帰還の見通しが立たない中で、このままでは忘れられ、見捨てられてしまうのではないかとの危機感も大きい。
一方、帰還への取り組みは自治体任せであり、避難指示が解除された地域の住民は、東京電力からの補償金が打ち切られることになります。

号令をかけるだけのこれまでの政府のやり方では、帰還する人としない(できない)人との新たな対立や分断が起きてしまいます。
政府には、帰還する人も避難生活を続ける人も、どちらも故郷の復興に希望を託すことが出来るよう、経済的、社会的、健康的なサポートに責任を持つこと、私たちには、住民の決断に寄り添い続けることが求められています。

津波の記憶鮮明に
仙台市・荒浜小学校

震災遺構として仙台市が整備した旧荒浜小学校は、今年4月30日から一般公開が始まりました。海岸から約700m内陸に位置する荒浜小学校は2階部分まで津波が押し寄せ、児童や教職員、住民ら320人が屋上に避難して難を逃れました。
約800世帯、2000人が暮らしていた荒浜地区は現在、住宅の新築が出来ない災害危険区域に指定され、コンクリートの土台だけが残されています。海岸には長さ830m、高さ7・2mの防潮堤が完成し、太平洋を望むことはできません。

2階部分まで津波が押し寄せた荒浜小学校



震災メモリアル事業

校舎の1・2階は被災した当時のまま残され、剥がれ落ちた天井や傷ついた教室の床、倒れたベランダの壁などが、津波の破壊力を物語ります。

3・4階は、津波の発生時から避難状況の生々しい映像や写真、震災前の暮らしを伝える映像や模型の展示などがあり、訪問者を引き付けます。

脅威を伝えるだけではなく、津波で失われた記憶をも復元しようとしているかに思える震災遺構―未来の世代への貴重なメッセージとなるでしょう。
一方、集団移転によって空いた広大な跡地利用は、ようやく基本方針が決まったばかり。今は、南北を貫く県道のかさ上げ工事のトラックが行き交っています。本格的に始まる震災メモリアル事業が、美しい砂浜を隔てる巨大な防潮堤によって象徴されることにならないよう、今後の「復興」事業も注目していかなければなりません。

新たなまちづくりへ
宮城県・山元町

宮城県南部に位置し、特産のイチゴやリンゴ栽培、米作が基幹産業の山元町は、約40%が浸水し、常磐線沿いにあった6つの集落が壊滅、600余名の死者を出す大きな被害を受けました。

札幌市では震災翌年の4月から、都市計画や区画整理などの課長・係長職7名を長期派遣(現在は3名)して、復興・復旧事業の支援を行っています。

大胆な移転計画

町は、常磐線を山側に移設し、新駅予定地など3地区に新市街地を造成して集団移転を図り、コンパクトシティを目指す復興計画をつくり、いち早く実行に移しました。
昨年12月にはJR常磐線が運転を再開し、駅周辺には規模は小さいながら新興ニュータウンの雰囲気が漂っています。復興公営住宅はすべて完成し、129戸あったイチゴ農家を52戸に集約する「イチゴ団地化整備事業」によって、生産量は震災前の水準に回復しているとのことでした。
今後は、600haを超える規模の水田整備事業や災害避難道路、防潮林の整備が進められることになります

マンパワーが不足

齋藤俊夫町長は挨拶で「震災から6年が過ぎ、ハード面では8割程度復興したが、多くの事業をこなしていくには、マンパワーが圧倒的に不足している」と話されました。
町の年間予算規模は、震災前の55億円に対して、震災後の5年間は平均400億円と約8倍になりました。全国の自治体からの応援で、何とか市街地の整備事業に目途はついたようですが、ソフト面での遅れが懸念されるようです。

町では現在280名の職員のうち87名が全国の自治体からの派遣職員となっています。阿部町議会議長が思わず「被災地域から出ていた議員は、みんな引退してしまった。悩ましい。」と漏らしたように、新市街地と旧市街地との意識の違いや、新たなコミュニティづくり、将来の財政負担など、今後の課題と向き合う人材の育成が求められています。
山元町役場。隣りは阿部均町議会議長